友の名はニック。
僕よりもかなり年上でアメリカ人の彼とはタイ北部の街チェンマイで出会い、バーで飲んだり旅行に一緒に行ったりして遊んだりと年齢からは想像もつかない程エネルギッシュな人だという印象があった。
2016年の春だった。
僕が以前手伝っていたゲストハウスに遊びに行ったら彼が宿泊していて、そこで知り合ったのだが中国系のゲストハウスということもあって、そこにいた中国人の友人とも共通認識のある仲になった。
ある日、バーで飲んでいる時に彼がなぜ一人でアメリカからはるばるチェンマイまで来たのか聞くと彼の昔の話をしてくれた。
もう一度訪れたい場所
誰でもいつか行きたい場所があると思う。
以前行った場所、まだ行ったことがない場所、もしかしたら地元かもしれない。
人それぞれ違う人生なので違う場所を思い浮かべるだろうけど、
彼にとって行きたい場所が東南アジアだった。
彼がまだ若かった頃に、ベトナム戦争に出兵してラオスに駐留したらしい。
「あの当時自分がいた村の現在を見てみたいんだ」
と話す彼の目からは楽しみの中に寂しさのような感情があるように感じ取れた。
アメリカが犯した戦争犯罪
ベトナム戦争に関してアメリカ人の意見を少し聞いたことがある。
僕個人的な認識としては、ベトナム戦争におけるアメリカは敗戦国だ。
しかしアメリカのやったことはベトナムに対し数多くの傷あとを残した。
戦争法違反の民間人虐殺。
民間人に紛れてゲリラ的に戦う北ベトナム軍に対し民間人の虐殺を行った。
悪名高い枯葉剤もその戦略の一つ。
ベトナム戦争で使った爆薬の数は第二次世界大戦で使った総量以上と言うからどれだけ意地になってベトナムで好き放題していたのか。
当時のアメリカ撤退の言い分としてはたしか「南ベトナムは独立して戦えるには十分な状況になったから我々は撤退する」という感じだったと思う。
アメリカはいつも他の国を散々攻撃し大量の民間人を殺し、負けを、非を認めず帰っていく。
僕が海外を旅している経験からしてアメリカは世界でも比較的嫌われている国の上位にいると感じるくらいにアメリカ嫌い又はアメリカ人嫌いな人は多い。
そして当のアメリカ人にもアメリカ軍のやり方や見解に否定的な人ももちろんいる。
僕がベトナム戦争の博物館に行った時、「真実は隠すことが出来ない」とアメリカの攻撃に対する批判をするアメリカ人の友人もいた。
9.11ですらアメリカ人の自作自演だというアメリカ人すらいる。
どの国にも言えることだが◯◯人は〇〇とステレオタイプを鵜呑みにしてはいけない。
いつの時代も世界中どこでもおこる摩擦
アメリカ人のニック、中国人の友人そして日本人の僕。
バーでの状況はまさに僕らが経済の世界中トップ3の国のミクロ会談だが、それぞれに歴史がある。
僕はニックに「日本人はアメリカ人を憎んでいるか?」と聞かれた。
ニックは日本と最も激しく戦った国で、原爆を落として壊滅的なダメージを与えたアメリカ人を日本人はどう思っているのかが気になるようだった。
ラオスに行くと言っていたニックの言動からも、何処か自分のしたことの正当性を確かめたいようなそんな感じがする。
僕はニックに「殆どの日本人は全く気にしていないよ。ただ、今も原爆の後遺症で苦しんでる人はいるし、そういう人の中には僕とは違う考えがあってもおかしくない」と伝えた。
その少し前にチェンマイで広島から来たケイコさんという方にも出会って、原爆で苦労されたご両親の話も少し聞かせて頂いていただけに、そこはしっかり伝えなければという気持ちがあった。
またニックは中国と日本の間も気にしていた。
二国間の関係が良くないことも知っている中で、僕と中国人の友人の関係が気になるようだった。
僕と中国人の友人の間で良く使う言葉がある。
“History is just history”
「歴史は歴史。今の俺らの仲には関係ないだろ」と。
お互いに教育も違えば文化も情報も違うし、間違った情報もある事も理解してる。
ただそれも含めてお互いわかっているので、無駄な衝突は無い。
違う事をまず認めるのが第一歩。違いを認めない自己中な強い正義は争いを生む。
戦争は正義と悪の戦いではなくいつも「正義対正義」の戦いなのだ。だから恐ろしい。
ニックは僕らの仲を見てとても嬉しそうだった。
実際に戦争を体験した人は今はもう日本では少ない。子供の頃になんでもっと聞かなかったのか最近よく後悔することがある。
アメリカは好戦国だけどニックには後ろめたさみたいなものがあったのかもしれない。
友の訃報
そんなアメリカ人ニックの訃報を、つい先日中国人の友人から受け取ることになる。
僕たちは誰もニックが病に侵されていることは知らず、寝耳に水状態だった。
彼の息子さんのメッセージによると、ガンで今年の初め頃に亡くなったらしい。
僕とニックが出会ってから1年も経たないうちにこの世を去ったということになる。
僕と出会った時のニックは酒も飲むしタバコも吸う。
とても健康に気を遣うようには見えなかったがそれが既に諦めていたということなのか、素のニックなのかはもうわからない。
当時自分の体がガンに侵されていたのを知っていたのかどうかも分からないが、もし知っていたのなら、まさに「死ぬまでにやりたいこと」をギリギリでやり遂げたということになる。
息子さんのメッセージによると
アメリカに帰ってからタイの思い出話をすることが多く、チェンマイで出会ったアジア人達と過ごした時間がとても幸せだったと話していたそうだ。
死ぬまでにやりたいこと、ありますか?
ニックのことを聞いたのをきっかけに、自分が本当にやりたいことは何なのだろう。
幸せと言える人生を生きているだろうか。と真剣に考える事が多くなった。
今僕は好きな時に好きな場所に旅をしている。正直、もともと行きたい所もそんなに多くはなかったしその殆どはもう行ったので旅を続ける理由ももうそんなに無い。
言ってしまえば、明日死んでもそれほど悔いはないと思う。強いて言えば恋愛して結婚して子供が欲しかったくらいだろうか。
自分の人生に悔いがない反面、日本にいる親や友達の存在のありがたさを感じることと彼らの為に何も出来ていない自分への情けなさを感じることが多い。
今僕の思う死ぬまでにやりたい事は、彼らに直接会って「ありがとう」と感謝を伝えることだと思う。
神様に生かしていただけるのであれば無事に日本に帰って実現したい。
あなたには死ぬまでにやりたい事がありますか?
明日死んでもまぁ悪くないかと思う今日を過ごしていますか?
もし、やりたい事、引っかかっている事の一つが小さなことなら、今できることなら、今すぐやってみましょう。
今すぐ出来ないことなら計画してみましょう。「いつか」ではなく日にちを入れて具体的に行動の第一歩にしてみましょう。
明日自分の人生にピリオドが打たれるかもしれません。
ニックのように幸せだったと思える終わり方ができるように今日を生きていきましょう。
RIP My friend Nick.